• 創成教育部門
  • 創成教育部門について
  • 学際実験・実習
  • 創成活動
  • 創生教育部門便り
めざせ 学びのプロフェッショナル!

Imagineerへの道

 Imagineerとは、Imagine(こころに描く)とEngineer(技術者)からなる造語で、最新の辞書には掲載されている英単語です。「夢を形に変える人」というのが第1の意味ですが、CIRCLEでは、2つのことを「こころに描く」ことをメッセージとして発信しています。第1に技術者が作り出すのは確かにモノやシステムですが、そのモノやシステムの向こうにある人々の暮らしをこころに描いて頂きたいということです。つまり、技術者の本当の仕事は人々の暮らしをデザインし、人々を幸せにすることであるという役割を理解して欲しいということ。第2に、将来の自分の姿をこころに描いて欲しいということです。どんな技術者になりたいのか、どんな姿に憧れるのか。そして、そのために、今、何をすればいいのかということを考えられる人になろうということです。これは、何も将来のために現在を犠牲にせよという意味ではなく、自分という物語の主人公になろうということです。人間というのは物語が好きなのです。そして、自分が物語の主人公になるとき、実力以上の力を発揮できるのです。特に学生の皆さんには、「学ぶ」ということが、現在為すべき事の重要な部分を占めるのではないでしょうか。
 とは言うものの、なぜ学ぶのかよく理解できない人も多いのではないでしょうか。答だけ先に言っておけば、それは人間としての自主・自立・自由を獲得するためです。学ぶのは賢くなるため。賢くなるというのは、自分で考えられる能力を身につけること。そして、自分で考えるとは、自分の将来を他人任せにせず自ら選び取るということです。自主的に未来を選択する自由を獲得すること、それが学ぶ目的です。自立とは、決して何でも一人でできることではなく、適切な場面で適切な人と有意義なつながりを構築し、自分の考えを実現させていくことです。自立している人は、頼み事をすることを怖がりません。将来、頼まれた事を引き受ける自信がなければ、人に物事を頼めませんよね。

学問とは

 学問とは、読んで字のごとく、まず問いを立てて学ぶことです。人に出された問題を解くことはつまらなくても、自分で問いを立てて学ぶことは楽しいもの。本居宣長の下に集まった商人たちが、「いろんな遊びをやってきたが、学問ほど楽しいものはない」と言ったと伝えられています。実際、大学教員の大多数は楽しいからこの仕事をしていますし、学者と乞食は三日やったらやめられないなんて言う人もいます。
 でも、学校の勉強って一般に面白くないですよね。そもそも教室というのはかなり特殊な空間です。例えば、先生がする質問は、先生自身が答を知っていることですよね。街頭で赤の他人に自分の知っていることを聞いて、「良くできました!」なんて言ったら殴られるのがオチですよね。そう、問うというのは自分が知らないということを知っているから問うのです。問いを立てる。その楽しさを体験してもらうというのが創成教育の大きな目的でもあります。

学びの作法

 問いを立てたら、学ばねばなりません。学ぶことの基本は自分の立ち位置を意識的に低くすることです。水は低きに流れます。そもそも、問いを立てた時点で、自分が知らないことを認めたのですから、やはり負い目があるのですよ。先生というのは、まず先生がいるのではなく、その人を先生として見上げる学生がいて初めて先生になります。ですから、その人を先生だと決めるのは先生ではなく、学生です。たとえ嫌いな先生でも見上げなければ学べません。そして、その視線は先生ではなく、先生の向こうにある先生が憧れているモノに向ける必要があります。先生しか見ないのでは、先生を追い越すことはできません。そしてその視線は、必ず斜め上を向かねばなりません。先生を見下せば学ぶことは不可能です。これは屈服ではありません。学ぶための技術です。
 人間は、知っていると思ったとたん、学ぶことを停止します。ああ、その話なら知っている、聞いたことがある。そう思ったとたん、学びは停止します。あくまで知らないという前提で聞く。これが学びのコツです。

能力は誰のものか

 こうして学ぶことを通じて得た能力が、自分だけのものでないことは少し考えてみれば明らかです。第1に、いかなる能力も自分一人で身に付けたものではありません。この気持ちは研究者なら誰でも持っているはずです。「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それは単に私が巨人の肩に乗っていたからです」と手紙に記したのはニュートンです。研究者はみんな先人の肩の上で仕事をしています。(そもそもニュートンのこの言葉すらニュートンのオリジナルではなく、当時よく言われた言葉のパクリです。)第2に、能力は、その能力を発揮する環境があって初めて能力として機能します。例えば身一つで無人島に漂着したIT技術者がその能力を発揮できる可能性は極めて低いでしょう。能力を獲得できたのも、能力を発揮できるのも他人のおかげです。だとすれば、能力は自分だけのモノではありません。

働くということ

 子供時代には、できるだけ多くの人の世話になって負い目を一杯作ればいいのです。負い目を感じることは、働く意欲を高めます。私自身も会社を辞めた負い目があり、「お前、そんな事をする為に会社をやめたのか?」という脅しが背後から聞こえて来る性分です。一人前になるまでに受けた負い目を大人になれば社会に返す。この恩返しが働くという行為の本質です。ですから、社会が求めない行為は仕事として成立しません。日本国憲法というのは、本当に良くできていて、第26条に義務教育があり、第27条に勤労の義務があります。これらは一対になっている訳で、義務教育で十分負い目を作らせておいて、大人になったら世間に恩返しせよと言っているのです。これは日本国民の「義務」であって、その気になったらやってね、というお気楽なものではありません。最近、人気の無い憲法ですが、私たちは「書き換えてやる」なんて高飛車に出る前に、まだまだ憲法から学ぶべきことがたくさんあると思うのですが。
 これで、やっと振り出しに戻って来ました。Imagineerが人々の暮らしを良くするために働かなければならないのは、それが技術者としての恩返しだからなのです。話が回りくどいですって?人間、何かを理解するのにも回りくどい「物語」が必要なのです。 (飛田)